2010/7/11 日曜日

エースの品格 一流と二流の違いとは 野村 克也(著)

Filed under: 未分類 — morinaga @ 20:52:20
 【 目 次 】
 第1章 稲尾、杉浦の凄さ
 第2章 勝者と敗者の分岐点
 第3章 ヤクルト時代に見たエースたち
 第4章 エースも四番もいなかった阪神
 第5章 「エース」と指導者の関係
 第6章 田中将大は“真のエース”になれるか

・「人間は考える葦である」とは、フランスの哲学者パスカルの言葉だ。我々の尊厳はすべての思考のうちにある - 野球においても、その真理は揺るぎない。

・努力をしても結果が伴わないことはいくらでもある。努力するにもセンスが必要なのだ。センスは・感じる・考える・ことで磨かれる。

・コーチは気づかせ屋。教えないコーチこそ「名コーチ」。

・人間の心は自己愛に満ちている、と冒頭で書いた。自分がかわいいのは誰しも同じことであり、避けることのできない「業」とも言える。しかし、そこから生み出される「欲」は社会や組織(チーム)にとっては百害あって一理なく、最終的に自らもしっぺ返しを食らうことになる。まさに、因果応報である。

・現在のプロ野球に「真のエース」と呼ぶにふさわしいピッチャーは何人いるだろうか。その条件は「危機に瀕したチームを救ってくれる存在」であり、「チームの鑑」であるということだ。連敗を重ねて雰囲気が落ち込んでいるとき、打線が振るわない時、「1対0の勝利」を引き寄せられるピッチャー。味方がエラーしようが不平不満を表さず、マウンドからナインを奮い立たせる、逆境をものとせず、勝利を稼ぐよりも負けない男―それがエースなのだ。

・「満足・妥協・限定」はプロ野球選手にとって三代禁句なのである。

・何のために野球をやっているのか

・人間とは不思議なもので、本の中で印象に残った一文がふとしたことで口をついて出てくる。真剣に仕入れた情報は、きちんと必要なときに左脳から運びされることを知った。自分の思考を言葉にする訓練をさせてもらっていたので野球界に復帰するときに「言葉の重要性」を痛感できたことは大きかった。
指揮官が力を発揮できる最大唯一の媒介は「言葉」である。言葉なくして「考え方」が伝わるはずもない。極論を言えば、監督の仕事は「言葉をつむいでいく作業」であるといえる。言葉をもたない指導者に監督の資格はない。

・川上監督の「人間教育」を絶賛

・「背中が教えてるやろ」 (阪神のコーチ時代、走塁指導での福本氏の言葉)

・私は「失敗」と書いて「成長」と読むことにしている。まさに読んで字の如し。失敗を生かせる者はそれを放置するものに勝る。それが「変化」となって現れる。一流選手、中心となっていく選手はみな修正能力に優れている。同じ失敗を繰り返さないのである。二度繰り返す者は二流。、三度も四度も失敗を重ねる者は三流、四流どまりということだ。

・私はことあるごとに、当時のジャイアンツこそ、「理想の野球チーム」として取り上げるわけだが、それは目に見える物理的な強さだけではない。その背景にある「伝統」、さらには、「自分たちこそが球界の盟主であり、日本のプロ野球を牽引しているんだ」という自負など、他を圧倒する「無形の力」にあった。その見えざる力に気おされ、ことごとく跳ね返されてきたのだ。

・人の手本となり、組織に強い影響を与えていくことは、 相当の覚悟を必要とする。 損得でいうならば、それを損であると考える者もいるだろう。 ~~~(略) しかし、人間の真の価値は損得を超えたところにある。 「個」の枠を乗り越えたところにこそ、 本当の生きる喜びがあると、私は信じている。

多くの学びを有難う御座いました。

HTML convert time: 0.281 sec. Powered by WordPress ME

Close
E-mail It